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大山倍達マニアック検定

極真空手と少林寺拳法の抗争4(1972年)

JUGEMテーマ:空手
   さていつものアバンをすっ飛ばし、本編に入ります。 この連載は今回でラストですね。

過去記事はこちら
極真空手と少林寺拳法の抗争1(1972年)
極真空手と少林寺拳法の抗争2(1972年)
極真空手と少林寺拳法の抗争3(1972年)
極真空手と少林寺拳法の抗争4(1972年)


 11月27日、「スポーツニッポン」の連載記事「大山倍達 ケンカ空手」にこの様な記述が書かれていた。 何度か引用しているが、該当部分を改めて掲載する。

スポニチ19721127b.jpg

 ついこのあいだ、今月五日のことである。
 ある拳法を志しているという若者が池袋の極真会館の大山館長を訪ねてきた。
  極真会館の機関誌”空手マガジン”に△△△拳法はニセモノ”と題する特別寄稿が掲載されていたことから「二日後、あなたの道場で勝負を決めようではないか」というつまり他流試合の挑戦の申し入れであった。
 七日、△△△拳法四、五段という青年三人が約束通り極真会館へ乗り込んできた。 応対に出たのは三浦二段、佐藤二段、英国人コリンズ初段ら六人。 大山館長は「若い者にまかせておけば大丈夫……」とそこには顔を出さなかった。
 ところが当の三人は二日前の勢いはどこへやら、低姿勢で受付をのぞいていて「もう話はついたから………」というばかり。 「何が話がついたんだ。 こっちは試合の用意ができている。 すぐに道場に上がれ」
 三浦二段の言葉に三人はあわてて、エンジンをかけたまま表通りに待たせておいたタクシーに乗り込んで、排気ガスを最後っ屁(ぺ)に雲をカスミと逃げていったのである。
 「△△△拳法の四、五段ならウチの茶帯(一級)で十分相手ができるとふんでいたのだが、やっぱり………」てんで相撲にならなかったこの対決に大山館長はニガ笑いした。

 経緯を知らない関東の少林寺拳法はこの記事に激怒した。 当事者以外誰も知らなかったのだろう。 中西はこう回想する。

 …スポーツ新聞に載っている△△△拳法の伏せ字で、明らかに曲解の記事を目にしたとき、
 「なにいー!」
 先輩に、
 「やっちゃいましょう!」
 「何が戦闘空手だ!」
(中略)
 わたしはすぐに覚悟を決めました。
 「あそこにガソリンスタンド。 ここにコーラの空きビン」などと歩きながらバイトの通勤中に確認をとり、イザとなれば、
〈燃やしちゃえ!!〉という無茶苦茶さです。
 全員の若い血が騒ぎ、主将までが、
 「これはケンカだ! ルールはない」と明言。
 すぐに幹部会を東京農大と大東文化大を集めて開かれた先輩方(大東大の清田先輩は上級生にケンカを売るくらい根性の据わった方でした)、
 「今日、渥美たちが学連で抗議に行くらしい!」
 「一年生は残ること!」
 「二年生は希望者のみ!」
 「幹部は全員!」
 「はい!!」
 「よし! 仕事、仕事!」 三校合わせて八十名くらいの待機です。
 「中西はどうする?」
 「おれは行く!!」
 一年生のほとんどが「先輩!自分も行きます!!」という覚悟を示してくれていたので、「一年生が行くって言ってるのにキサマ恥しくないのか!!」とおびえる同輩を一喝し、
 「渥美先輩を見殺しにできるかぁ!!」
 逆上し、血が騒いで仕方ありません。
 主将がひんぱんに渥美先輩と連絡をとり合い、「オレも行きたいんだよ!」とおっしゃっているのが耳に入ります。
 学生連盟だけでなく連合会(当時関東連合会)本部の鈴木先生も同行しているとのことでした。
 (中略)
 「五千人くらいの関東全域の道院、学生OB、現役を相手にして○○会が勝てると思う?」
 「そうだな!」と、おびえていた同輩もようやく腹を決めたようです。
 「そうさ! おれは高校二年で千数百人の大集団と一緒にッ、……!」
 〈勝てる!〉
 戦いの実際を知らない者の安心感とでもいうのでしょうか。
 「目には歯を! 歯にはハンマーを!」
(中略)
 「少林寺をなめられてタマルカッー!!」
 誇りを失ったら少林寺ではありません。 もし両者の会談が決裂すれば八十名の特攻隊が武装して突っ込み、メチャクチャに暴れ破壊しつくす決意に燃えていたのです。
 「いいかい、ケンカなんだからルールはないんだぜ! 全学連だって鉄パイプや角材で武装するじゃないか!」
 「鉄砲があればな!」
 「そんなもの鉄砲店に一杯あるじゃないか!」
 この辺になるともう「宗門の行」などという段階ではありません。 ヤクザや愚連隊といっしょです。
 「ダイナマイトだ」ますますエスカレートしっ放しの超過激集団です。
 「機動隊に行って先輩から鉄砲借りて来ようか?」と普段はおとなしい某先輩まで巻き込んでほとんどの者が犯罪を犯す決意をしました。 ただ、誤解をして欲しくないのは、わたしたちはヤクザでもなければ過激派でもありません。 いわれもなく他を批判したり、コケにしては、名誉を傷つける○○会に対して、絶対に許すことができなかっただけなのです。
 「防衛大学に連絡すれば……」と言う先輩もいました。

 大山倍達が12月1日〜5日まで不在なので、記事の掲載された11月27日〜30日頃までだろうと思われるが、恐らく当初は数名、そして最終的には関東の少林寺拳法門下80名ほどが池袋の極真会館総本部付近に集結した。
 本部付近で何名かの極真門下生が闇討ちに遭ったと言われている。 そして数日後に百人組手を控えたハワード・コリンズもその被害に遭った。 真樹日佐夫はコリンズの闇討ちについてこう聞いたという。

現代カラテマガジン197909.jpg

 「暴漢は四人いましたが、私は道場以外のところでは腕力沙汰におよぶのは嫌いなので、黙って相手の殴る蹴るに任せました。 私はちっとも痛くありませんでしたが、彼等の方でスタミナ切れしたものか、やがて引き揚げて行きました」

 添野義二の回想ではこうだ。

 …そうしたら事務局長が100人ぐらい連れてきて、当時の総本部を囲まれたんだよ。 夜、『卍』を書かれて、ガラスを割られて、コリンズが襲われて。 何しろ奴ら、カメラを持ってきていてバシャバシャと写真を撮るんだよ。 不気味だったよ。
 

 当時は三浦美幸と岸(信行)が指導員だったんだけど、彼らが道場に来て写真を撮ったりとかかなりされたのよ。 それで大山先生から「ちょっと来い」って呼ばれて、「こうこうこうで闘うから」って言われてね。 そのあとで100人ぐらいで来て道場を囲んで玄関をブッ壊して逃げてったんだよ。 みんなで追っ掛けていったんだけど、ハワード・コリンズは一人でいるところを逆に襲われたりもしたんだよ。

 少林寺拳法の四国の鈴木義孝事務局長(関東連合会本部の鈴木なる人物と同一かは不明)が事態を解決すべく上京。 まずは社団法人日本少林寺拳法連盟としてスポーツニッポン新聞社に事実では無いと抗議したらしい。 そして極真会館総本部で大山と話し合うつもりで来館したが、その背後には学生連盟から約80名。 本部ビルは三方が住宅だが事実上、取り囲んだ。 このまま対峙した形となっていたらしいが、他流試合騒動の時に鈴木の顔を憶えていた添野が1人外に出て鈴木を呼ぶ。  現在は白蓮会館を主宰する館長の杉原正康は、その時の様子をこう語る。

 …囲んだ時には添野(義二。 現・士道館館長)さんだけが出て来た。

 鈴木は館長室に上がり、大山と会談した。 どの様な話となったかは当事者が語っていない為、不明である。 添野は話し合いで解決したと語り、後に少林寺拳法はこの様に書いた。

少林寺拳法五十年史.jpg

 …社団法人日本少林寺拳法連盟では、スポーツニッポン新聞社にこの記事がまったく事実でないことを厳重に抗議するとともに、再び池袋の極真会館本部を訪れ、大山館長と会談し、大山氏もこれが事実ではないことを認めたため、和解した。

 互いに大人の解決を求めたという事であろう。 和解は速やかに血気盛んな学生達にも伝えられた。

 再び連絡をとった主将が、全員に、
 「和解だ!」と伝えます。
 「話はついた!」
 「今、電話で報告があった」という説明だけで詳しいことはわかりません。
 「安心して帰るように!」
 全員「ハイ!!」
 あっけない結末に、〈刑務所行かなくてすんだ〉という思いと〈後輩まで巻き込まずにすんだ〉の安堵感で一瞬のうちに気が抜けました。

 後に全日本学生連盟、関東学生連盟委員長となる中西準一の回想である。 とりあえず双方にとって最悪の事態は避けられた訳だ。
 当時の事を振り返って、大山倍達は自身の弟子で作家の平岡正明と対談した際にこう語っている。

 …俺は支部長会議の時に言ったんだもの。 極真がものすごく大きくなった時は、君たちいつか知っているか、それは、少林寺拳法と血みどろの闘いをやった二年間だ。 その時に先頭に立ったのは、添野義二じゃないか。 師を裏切った男だがその点添野に俺は感謝するよ。 君たち、一人も命張っていなかったんじゃないかと。 添野が、「館長、私に任せてください」と言って、少林寺拳法の鈴木事務局長をタクシーから引きずり下ろして殴ろうとしたのを、私は止めさせた。 彼が来る時には、いつでも二十名の長を連れてきたんだよ。 極真をつぶすために。

添野義二.jpg
添野義二

 他流試合の時には大山はおらず、事後報告しか受けていない様なので、添野については主にこの時の話と混合している物と思われる。
 この騒動の最中、大山倍達は四国で支部長を務めていた芦原英幸に直接首を取る様に指示している。 これを受けて芦原は香川県の少林寺総本山まで行ったらしい。 その際に誰かと立ち会ったとも、立ち会いは適わずに会談しただけとも言われているが、芦原は添野に電話してこう語ったと言う。

添野  大変だったよね。 こっちは別の団体なんて知らないから、芦原(英幸)先生を少林寺に闘いに出したりとかね。 そしたら電話がかかってきたもの。 「いや、少林寺は大変だよ。 逆に少林寺を学んだ方がいいよ」って言ってたんだから。

ーーえ! そうなんですか。

添野  組織力とか、思想とかね。 オレもその頃は極真が100%正しいって思ってたけど、極真を離れたら、それだけじゃないってわかったから。 肉体的強さとは違う、精神的、組織的強さは少林寺の方が強いんだよね。 びっくりしたよ。

 後に芦原が自身の技術体系をまとめ、自流を立ち上げる際には少林寺拳法の稽古体系等を多いに参考にしたと言われている。

 12月1日、金曜日。 2部の稽古終了後、19時頃からハワード・コリンズの百人組手が開始される。 大山は極真会館会長毛利松平の選挙応援で四国に行った為、名代として真樹日佐夫が主審を務め、45名が参加した。 襲撃の際にも大したダメージを負わなかったコリンズは、後半何度かダウンするも22時頃に史上6人目の百人組手達成者となった。 そして翌年の全日本で優勝する事となる廬山初雄もこの日、復帰した。

コリンズ百人組手.jpg

 12月4日。 平日にも係わらず朝の1部の稽古から30名が参加する等、先日の少林寺拳法との抗争など無かったかの様な日常に戻る。 翌日には館長の大山が帰京。 三浦美幸や岸信行といった指導員が羽田まで迎えに行く。 この日の3部の稽古は51名が参加。
 12月10日、先の第4回全日本大会の1〜3位である三浦、コリンズ、秋田支部の佐藤俊和らがハワイ旅行へと出発する。 コリンズはこのままイギリスに帰った。

 しかし年末頃になると、極真会館に妙な噂が流れて来る。 この噂を否定すべく福沢拳山が怒りを込めて「現代カラテマガジン」「他流試合始末記」と称して書いた。 先の他流試合騒動の顛末を書いた上でこう続ける。

他流試合始末記.jpg

…歳の暮の事、単なる”うわさ”ではあるが、例の拳法の連中が全く逆の宣伝を流している事が耳に入ってきた。 ”うわさ”を要約すると、連中の総本部の長が極真会館に乗り込み、大山館長に果たし合いを申し込んだところ、大山は土下座して命乞いしたのだという。 根も葉もない”うわさ”の事で真偽はさだかでないが、弟子としては黙っていられない。 数人の者が血相を変えて報告 人一倍に正義感の強いS支部長等は一人で敵の総本部に討ち入る気配!!

 結果的には和解が済んでいる事から大山が制したが、大山はその後も何度かこの手の話を聞かされ、少林寺拳法の批判を再開する事になる。 例えばこの騒動から僅か2年後の1974年に出版された「続・ケンカ空手 わが青春の修練秘録」にはこう書かれていた。

続ケンカ空手わが青春の修練秘録初版.jpg

 薬屋かなにかをやっていた人が、少林寺拳法とか称して、口先ばかりの闘技を唱え、何者とも戦うことなしに、大きな組織を作り上げた例がある。 そしてその人は、自分をPRする手段として、「少林寺拳法」という本を出版したが、その中にこんなことを書いた。
 「牛の角を折って喜んでいる空手家がいる。 しかし牛は農耕や食用に使うためにあるのであって、角を折るためにあるのではない」
 見事なものである。 口先だけで武術の流儀をでっちあげるくらいだから、理屈ではなるほどと思わせるものがある。 しかしこれは戦うことを知らぬ弱い武道家の”引かれ者の小うた”である。 力を試す方法の一つとして、実力を比較する手段の一つとしてあることを無視して、屁理屈で他の流派を誹謗する。 私はこの中傷に対して腹を立て、挑戦状を送った。 ところが返事はこうだった。
 「私たちは他流試合をしない規則です」
 武道でよその流派とは試合はやらない規則です、などといういい加減な流派があるのを、私ははじめて知った。
(中略)
…この人は活字の上で大見得を切ったが、勝てぬと知っているから、私の挑戦から逃げまくっている。 逃げながら道場を経営して儲けているのだから、相当な人物だと言うべきだろう。

 1979年の「週刊大衆」に極真会館と少林寺拳法の双方にインタビューした記事が残っているので、ここに引用しよう。

 少林寺拳法のある流派は、「牛は農耕用か食肉用に飼育されるのであって、角を折るために飼育されているわけじゃない。 牛の角を折ってよろこんでいる空手家がいるが、あれは邪道もいいところだ」と、大山批判の矢を放った。
 東京都少林寺拳法に、そのことをただすと、
 「ええ。 あれは空手が単に人をやっつけるだけでいいのか、強ければそれでいいのかということを指摘したまでのことです。 少林寺拳法は拳法を”行”としてとらえておりますから、大山さんのところとは宇宙が違いすぎているのでお話しても平行線をたどるだけでございましょう」
 という返事が返ってきた。
 空手を武道として受けとめている大山は、こういう批判に烈火のごとく怒る。
 「なにをいっているか。 牛を倒したのはこの地上でわたしくらいのものだ。 あれこれいうなら自分でためしてみたらいい。 牛の角とまではいわぬが、山羊の角ぐらい折ってみろというんだ。 武道というのはもともとお上品なものじゃない。 本当の武道は勝つか負けるか、二つに一つだ。 彼らはぬくぬくとしていて、他流試合をしないことを理屈でごまかしているが、要は逃げまわってるのと同じじゃないか。 同じ白いといっても砂糖と塩はナメてみなくちゃわからん」

 その後極真は梶原一騎という不世出の劇画作家のプロデュースで急激に成長するが、後に協力態勢は瓦解。 80年代以降は地方支部の充実化と大会を中心とした堅実路線へと舵を切る。

毎日新聞19730926.jpg
毎日新聞(1973年9/26)

 少林寺拳法は極真との抗争では痛み分けとなったものの、「行動する少林寺拳法」を標榜したまま歩み、その後も複数の流派と揉めた。 特に1973年の武道学会では殴り合いを繰り広げて新聞沙汰になっている。 1977年12月、横須賀で米国籍の15歳の少年と少林寺拳法関係者6名が揉め傷害致死事件が発生、集団リンチ殺傷事件として世間を騒がすに至り、これまでの組織の方針を大きく見直す事となる。

 そして両組織が交わる事は二度と無かった。


 という事で極真と少林寺拳法の抗争の記事を終えます。 まぁ、調査した結果がこんなオチだったんですけど、如何でしたでしょうか? 納得頂けましたかねぇ?
 資料を基に構成しましたが、私個人が推測した部分はその様に書いていますので、全部が全部事実だとは思わない様にして下さい。 また、極真側の資料の方が多いので、公正では無い記述もあるかと思いますが、その辺りも考慮して頂けると幸いですね。

 まぁ、抗争で極真側が負ったダメージは一部の生徒とガラスと落書きと玄関くらいだったんですけど、現在ではむしろ風評被害の方が大きいかも知れませんねw
 この件で門下生が減ったとか、逃げたとかって話は特にありません。 この事は「極真会館日誌」に掲載されている稽古に参加した人数からも明らかです。 ひょっとしたら本部に通っていても、この件について殆ど知らない人すらいるかも知れません。
 現在の観点からすれば少林寺拳法側の話にドン引きされる方もいると思います。 戦国時代とか戦争なら少林寺拳法側が勝つでしょうけど、実際に極真の本部に火を着けたりしてたら社会的に抹殺されるでしょうね。
 この頃の時代の少林寺拳法については、当の組織自身が苦々しく思っているのか、対立関係にあった不動禅少林寺拳法がやった事だという噂を流していた事もある様で、後に添野義二先生もこの様な説明を受けたみたいです。

…少林寺拳法にはこの間も行ってきたんだけど二代目のいまの館長とその話をしたの。 少林寺の50年史にも書いてあるんだけど、完全に別の団体なんだよね。

 …ちなみに「少林寺拳法五十年史」にはその様な記述はありませんw というか、反少林寺拳法派が極真を巻き込んだ、という風にも受け取れる内容で、抗議をしたという話位しか載っていませんでした。 添野先生も分かった上で大人の態度を見せているんじゃないかな。 ついでに言えば最近「月刊フルコンタクトKARATE」に掲載された記事の中でも白蓮会館の杉原正康館長が、「あれは金剛禅ですよ」とこの事を明確に否定しています。 この記事では杉原先生による大山倍達総裁と宗道臣先生の言い合いについての解説もありますので、読んで見て下さい。

 さて、来週は氷室京介のライブに行ってきますw その前に記事を1本書きたいですねぇ。 これで7月のCOMPLEXのライブチケットも当たれば最高なんだけどなぁ。
 それでは、また。
 

参考文献:
スポーツニッポン スポーツニッポン新聞社 1972年
毎日新聞 毎日新聞社 1973年
現代カラテマガジン 1973年1月号 現代カラテマガジン社 1972年
現代カラテマガジン 1973年2月号 現代カラテマガジン社 1972年
現代カラテマガジン 1973年3月号 現代カラテマガジン社 1972年
週刊大衆 1979年5/3号 双葉社 1979年
現代カラテマガジン 1979年9月号 現代カラテマガジン社 1979年
月刊フルコンタクトKARATE 2011年7月号 福晶堂 2011年
73 極真会館年鑑 財団法人極真奨学会 極真会館 1972年
続・ケンカ空手 わが青春の修練秘録 大山倍達著 スポーツニッポン新聞社 1974年
極真カラテ27人の侍 真樹日佐夫著 サンケイ出版 1986年
武道論 大山倍達、平岡正明共著 徳間書店 1992年
実録・少林寺修行記 第一部・祖国愛に燃えて 中西準一著 竹内書店新社 1993年
最強最後の大山倍達読本 日本スポーツ出版社 1997年
少林寺拳法五十年史 第一部 正史 『少林寺拳法五十年史』刊行委員会編 財団法人 少林寺拳法連盟 1997年
極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜 ぴいぷる社 1999年






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コメント
物騒な抗争とは関係ないのですが、杉原正康館長の実弟・
杉原弘章氏、第11回大会に出場されていましたね。
  • 四十路
  • 2011/06/06 1:38 AM
あらためて懐かしい?事件です。

当時情報がコマ切れだったので
なんとなく大変だった程度のことしかわかりませんでしたが

このように
顛末がわかりやすくまとめられていると

どのような順番で
何が起きていたのか良くわかりました。

ありがとうございます。

添野師範は度胸もさることながら頭も切れるのでしょうね。

少林寺も極真もいろいろあって大きくなったと感じました。

  • もん爺
  • 2011/06/09 2:25 AM
>四十路さん
言われて知りました。 今プログラムを見たんですが,やはり兄弟ですね。 面影がありますw
この大会は結構面白い方が出ていらっしゃるんですよねぇ。

>もん爺さん
時系列で物事を繋ぐと,色々見えて来ますからね。
ただ,基本は極真側の資料ですので,異論もあるかと思いますw

添野先生に関してですが、やっぱり頭が良く無いと,強くはなれないのでしょう。
  • Leo
  • 2011/06/09 9:31 PM
完結編お疲れ様でした!
今の時代に見るとカルト集団なみに怖いですね〜。少林寺。
まあ、時代が時代なので致し方ないのかな?極も体育会色が強いだけで似たようなものか…w。

それにしても添野先生おっかないッスw。

  • サミ
  • 2011/06/10 7:51 PM
添野師範の著書(正確には友人の方が書かれた本)に、ネリカンにおいて測定された『知能・適正検査の数値が驚く程優秀であった』と書かれていました。私は芦原師範、大山館長の知能指数も相当高いと思っています。芦原師範の斬新なアイデアが実証していると思いますし、大山館長の実兄達には、韓国内では有名な哲学者・朝鮮日報記者の方がおりますので。
  • 四十路
  • 2011/06/11 2:15 AM
「抗争」の等身大の姿が見えてきて興味深いです!

まだ生証人のいる今だからこそ貴重な発表ですね。

今後も、ブログの発表期待しています!
  • のぶさん
  • 2011/06/11 1:07 PM
いつもながらのプロ級のお仕事 ありがとうございます。好奇心をそそられました。芦原先生ではないですが 少林寺拳法の思想と組織力に興味を持ってしまいましたw ただ宗道臣先生の空手批判に対しては 南郷継正先生が武道修行の道の中で反論していますように 武技の創出を軽んじた意見としてみるしかないでしょう。いいところは敵であっても自己のものにする大山精神、極真イズムの精神の自由さは 少林寺拳法の思想=ドグマの強さからして 生まれそうにもないようですが いかがでしょうか。  
  • tada
  • 2011/06/11 3:31 PM
>サミさん
カルトみたい…んーまぁ、そうですよねw
ただ、「実録・少林寺修行記」を読むと、この方の場合は元々愛国心旺盛で、監督があまり係わらない体育会系にありがちな、閉鎖的な環境にも起因している様に思います。 道院育ちな人と、大学の部活から入った人で温度差があるんじゃないかなぁと。
極真の場合は仲間意識はありますが、集団でどうこうってのはあまり聞かないですね。 個人の強さは追求しますが、連帯とか…あったらもっと分裂規模は小さかったかも知れませんw

>四十路さん
あぁ「いつの日か 男は狩人」ですか。 何気に添野先生は関連本が多いですね。 「荒野の白虎」とか、未だにタイトルで首を傾げてしまう「人には超えられない山がある一言を」とかw

>のぶさん
あんまり劇的な話が出て来ないので、ガッカリした方もいるかも知れませんが、法治国家ではまぁ、こんなもんだと思います。 下手に伝説化というか…都市伝説化してしまったという好例でしょうか。 噂では大山総裁が直接香川に乗り込んだ、なんて話もありますが、丁度同時期に四国に行く用事があったのが、元ネタじゃないかな、と思います。 ひょっとしたら渉外担当の方と歓談くらいはしたかも知れませんけどね。

>tadaさん
南郷先生の意見には同意しますねぇ。 「秘伝少林寺拳法」の中でも、思想を説くにあたって、まずは武術で興味を惹いて人を集めようと思った、とありますし。
少林寺拳法も当初は色々と研究して取り入れていたみたいですが、システム化され過ぎた結果、そちらの維持の方が優先されたんじゃないでしょうか。
まぁ、他流の事ですのではっきりとは言えませんが。
  • Leo
  • 2011/06/12 12:39 PM
少林寺拳法が日本拳法の影響を受けているのは間違いない事実です。あと古い道院長は柔術からの創作だと知ってます。他にも色々参考にしたようですが。芦原師範は少林寺拳法の技術については全く認めてませんでした。だって芦原道場に来た少林寺の黒帯拳士達は足蹴られてみんな倒れてたんですから。
  • やいや
  • 2011/06/18 3:11 AM
>やいやさん
その辺りは検証に耐えうる証拠を出して行かないと何とも言えませんねぇ。 日本拳法の件は知りませんが、教範の初版を読む限りでは確かに柔術っぽかったですw
ところで、芦原道場に来た少林寺の拳士というのは、入門ですか? 以前どこかの道院の人だか大学の方が道場破りに来て伸ばされたという話は芦原道場出身者に聞いた事があります。
  • Leo
  • 2011/06/18 8:24 PM
ハワード・コリンズ師範に関する興味深い記録を発掘しました。WikipediaのWAKO European Championships 1978の項目に、セミコンタクト・キックボクシング部門(ポイント制キック?)+84キロ級3位(sweden)と表記されていました。同じイギリス出身であるフィットキン師範のキック経験が影響しているのでしょうか?ラングレンのキックボクシング経験とは、WAKOの大会出場経験を指しているのでしょうか?
  • 四十路
  • 2011/07/08 1:25 AM
>四十路さん
欧米の選手は結構余所の大会に出ていますからねぇ。 ブライアン・フィトキン先生の影響と言うよりも、ハワード・コリンズ先生が自分に合ったルールを選択したという事では無いでしょうか?
フィトキン先生や、ヤン・カレンバッハ先生がヨーロッパの大会で活躍していた頃はキック系のルールはありませんでしたしね。
しかしマニアックな記録を探して来ますねぇw
むっちゃ個人的な事ですが、フィトキン先生の著作を買う機会がありながら見過ごしてしまった事があって、それが今でも悔やまれます。 確か50ドル位で購入出来たんですよねぇ。
ハンス・ラングレンのキック経験に関しては何とも言えませんね。 70年代後半以降のヨーロッパならやろうと思えばいくらでも機会があったでしょうし。
…そう言えばヴァン・ダムのキックだか空手欧州チャンピオンだかの記録が無い! って昔"International Karate"という雑誌で糾弾してたなぁ…。
  • Leo
  • 2011/07/09 9:38 PM
もう、50年近く前に少林寺拳法の本を読みましたが
その当事、中学生だった私は他の武道の悪口に
呆れてしまいました。純粋だったからこそ
酷い本だとおもいました。
ネットでは少林寺が極真の悪口三昧で
相変わらず品格がありませんね。
極限まで鍛えた武道が少林寺程度にまけるはずが
ないのにあきれたもんです.

  • トンボ
  • 2012/02/13 2:16 PM
>トンボさん

まぁ、ネット上で少林寺拳法の皮を被って悪口言ってるだけの気がしますけどねぇ。

  • Leo
  • 2012/02/15 9:07 PM
極真会と少林寺だったらどっちも口が達者だから、いい勝負だったみたいですね。
  • 松田
  • 2012/05/18 6:15 AM
はじめまして。元少林寺拳士です。
とても興味深く読ませていただきました。
宗道臣は、裏ではいろいろ策謀を働いていたようです。元高弟の方にもいろいろお話を聞きましたが、武術の腕もプロの方には通用するほど強くはなかったようです。ただ人間的魅力溢れる方で、それで弟子になる人が多かったそうです。
でも極真会との抗争や他団体とのいざこざを知ると困ったもんだなとも思います。
私の住んでるところは、極真会と少林寺は仲がよく、極真の人が少林寺を学びにきたり、少林寺の人が極真を習いに行ったりしていい感じでやっております。
  • けーうん
  • 2012/06/13 3:52 PM
>けーうんさん
これはどうも。
宗先生の人間的な魅力は満点だったでしょうね。 実際道場破りに行った人が門下に加わっていますしw
まぁ、今のご時世、看板を掛けてやり合う必要はありませんし、共存共栄出来るのが一番でしょう。
  • Leo
  • 2012/06/14 12:16 AM
はじめまして。

私は以前は日本拳法、現在は極真空手を修行している者です。極真空手と少林寺拳法との抗争、興味深く読ませて頂きました。


ところで、日本拳法の森先生が少林寺の中野氏の道場を訪ねた事についてですが、実は後日談があります。

森先生が自費出版された、「日本拳法とともに生きる」では、森先生が中野氏の道場を訪ねた事を、森先生の師であり、日本拳法創始者の澤山先生に報告すると、澤山先生は怪訝な顔をされ、中野氏が去年、日本拳法の道場に来ており、弟子の防具練習を見せた事、森先生はその時は取り込んでいて知らなかったが、澤山先生が中野氏に対応をした事を知らされました。

森先生が「少林寺拳法はこれから伸びますよ」と言うと、澤山先生は「お前はあの男に毒されている。あのような男は武道家ではない。商人だ」と激怒したので、森先生は困惑したそうです。

日本拳法の道場で、澤山先生と中野氏との間でどのような会話があったのか、興味深い所だ…と森先生は書いています。

中野氏ですが、案外澤山先生の言葉が全てを物語っているように感じます。


正直、少林寺拳法は私自身、いい印象はありません。日本拳法修行時代、市の武道館の一面を借りて稽古をしていました。隣は少林寺拳法が稽古していましたが、私達が稽古しているのにも関わらず、少林寺の少年部の生徒が平気で入り込んだりする。それをこちらが注意しても全く聞かず、また少林寺の先生方は注意もしない。日本拳法の先生も激怒して、「なんだあれは!これでは挑戦しているのも同じだ!」
少林寺側の先生にも直接申し入れしましたが、全く効果ありませんでした。やはり、少林寺は他流を軽くみているのだろう…とも思ってしまいますね。
  • 疾風
  • 2012/10/05 3:53 PM
>疾風さん

どうもです。
「日本拳法とともに生きる」は高かったので購入しませんでしたが、後日談があったんですねぇ。
興味深い話です。

同じ所か知りませんけど、関東の某所で武道場を間借りしているある空手団体の分支部と、やはり揉めたという話は聞いた事がありますね。
  • Leo
  • 2012/10/05 11:40 PM
私は少林寺拳法をやってから芦原会館に入門しましたが、芦原空手のサバキが少林寺に影響を受けたようには思えません。掴むという部分が共通してはいますが、それ以外には全く別物だと思います。
  • 健一
  • 2014/05/05 10:29 AM
>健一さん

まぁ、掴むという技術も大山道場時代からの物ですので、技術的な影響は無いでしょうね。
あくまでも稽古体系などのカリキュラムだけじゃないですかね、影響を受けたのは。
  • Leo
  • 2014/05/06 12:46 PM
氷室京介お好きなんですね。私もです。自分このことを知らずにその時々に近所にあった道場、学生時代に少林寺、社会人で極真も通ってたな〜
  • たいしん
  • 2015/01/27 12:37 PM
>たいしんさん

氷室、大好きっすw
  • Leo
  • 2015/02/02 8:29 PM
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